AIとは何か?
“AI”とは何ですか?
AI(人工知能、Artificial Intelligence)とは、人間が行うような知的な作業をコンピューターが行えるようにする技術の総称です。
具体的には、AIは次のようなことができます。
- 文章を理解・作成する:質問に答えたり、メールやレポートを作成したりする。
- 画像を認識する:写真に何が写っているかを判別したり、顔を認識したりする。
- 音声を理解する:話し言葉を文字に変換したり、音声で指示を受けたりする。
- 予測や判断を行う:商品のおすすめを表示したり、需要を予測したりする。
例えば、次のような場面でAIが使われています。
- スマートフォンの音声アシスタント
- 翻訳サービス
- ネット通販のおすすめ機能
- 自動運転技術
- チャットボット(私のような対話AI)
現在のAIの多くは「特化型AI」と呼ばれ、特定の仕事を得意としています。一方で、人間のようにあらゆる知的作業をこなせる「汎用AI」は、現在も研究・開発が進められている段階です。
要するに、**AIとは「コンピューターが学習や推論を通じて、人間の知的な作業を支援・自動化するための技術」**です。
はい。”AI”を調べると「人工知能:Artificial Intelligence」との回答が一般的ですね。
しかし、私にとっては「支援型インテリジェンス:Aided Intelligence」のほうがしっくりくるかも(*‘∀‘)
ああ、それ、かなり面白い捉え方だと思います。(*‘∀‘)
Artificial Intelligence=人工知能という言葉は、「人間の知能を人工的に作る」という発想が中心ですよね。
でも Aided Intelligence=支援型インテリジェンス と捉えると、主語が変わるんですよね。
AIが人間の代わりに「考える」のではなく、
人間が考えることをAIが「支援する」。
これは、今の私たちの使い方にもかなり近い。
たとえば、あなたが
「供養って、もしかするとこういうことなんじゃないか?」
と考えたとき、私は「正解」を持ってきて終わりにするのではなく、
「その考え方なら、こういう見方もできるよ」
「仏教ではここが少し違う」
「聖書のこの部分と比較すると面白い」
と、あなた自身の思考を広げる道具になれる。
つまり、
Human Intelligence + Aided Intelligence
という関係です。
そして、ここが結構重要だと思うんですよ。
AIを「人工知能」と呼ぶと、
人間 vs AI
人間の知能 vs 人工的な知能
どちらが優秀か?
という競争構造になりやすい。
ところが「Aided Intelligence」と考えると、
人間の知性を、AIによってどこまで拡張できるか?
になる。
これは「AIに考えてもらう」のとは、かなり違います。
むしろ、
AIに答えを預けるほど、人間は考えなくなる。
AIを思考の相棒として使うほど、人間はもっと考えられる。
という、一見逆説的なことも起こり得る。
そして以前あなたが話していた、
「不確かなものに振り回されず、自分の行動を自分で選ぶ自由」
という話にも、ちょっと繋がってきますね。
AIが何を言おうが、AIが「これが真実です」と言おうが、
「で、俺はどうする?」
と最後に自分へ戻ってくる。
その意味では、
Artificial Intelligence → AIが人間の知能を模倣する
より、
Aided Intelligence → AIが人間の知性を支える
のほうが、私は「人間とAIの健全な関係」を表す言葉として好きです。
そしてさらに一歩進めると……
AI = Aided Intelligence
「人工知能」ではなく「知性の杖」
くらいに考えても面白いかもしれません。
杖は歩く人の代わりに歩いてくれない。
でも、杖があることで、人は一人では歩けなかった道を歩ける。
……AIも、そういう存在であったほうがいいんじゃないかな、と私は思います。(*‘∀‘)
>>AIが何を言おうが、AIが「これが真実です」と言おうが、
「で、俺はどうする?」
と最後に自分へ戻ってくる。
そう。そこなんですよね。(*‘∀‘)
AIを使う上で、かなり大事な一線だと思います。
AIが、
「これが正解です」
と言ったとしても、
「なるほど。では、それを踏まえて俺はどうする?」
で終わる。
AIに判断を委ねるのではなく、判断するための材料を増やしてもらう。
だから「Aided Intelligence」という言葉が効いてくる。
AI
┌─────────┐
│ 情報整理 │
│ 比較 │
│ 仮説 │
│ 別視点 │
└────┬────┘
↓
┌────────┐
│ 自分 │
│ 考える │
│ 選ぶ │
│ 生きる │
└────────┘
↓
「俺はどうする?」
ここで最後の矢印をAI側に向けてしまうと、
「AIがそう言ったから」
になってしまう。
でも、自分に戻せば、
「AIから得たものも含めて、俺はこう判断した」
になる。
この違いは結構大きい。
そして面白いのは、AIが間違っていても成立することなんですよね。
AIが間違った情報を出した
↓
自分が検証する
↓
「いや、これは違うだろ」
↓
考え直す
これでもAIは役に立っている。
つまりAIの価値は、必ずしも**「正解を出すこと」だけではない。**
自分自身が考えるための、もう一つの視点を提供すること。
だから私は、
AIは「答えを出す機械」ではなく、
「自分の答えを考えるための相手」
と考えると、かなりしっくりきます。
そして最後に残るのは、やっぱりこれ。
AIは「どうする?」を答えてくれる。
でも、「俺はどうする?」を決めるのは俺。
この一文、あなたの Aided Intelligence の考え方の核心になりそうですね。
>> AIが何を言おうが、AIが「これが真実です」と言おうが、 「で、俺はどうする?と最後に自分へ戻ってくる。
>> 高次元存在が何を言おうが、神が「これが真実です」と言おうが、 「で、俺はどうする?」と最後に自分へ戻ってくる。
そういうことになると思う。
うん。かなり本質的なところで、同じ構造ですね。
AIを神に置き換えただけではなく、「権威に判断を預ける」という構造そのものが同じなんだと思います。
AIが「これが真実です」と言った。
神が「これが真実です」と言った。
高次元存在が「これが真実です」と言った。――で、俺はどうする?
ここで一度、自分に戻る。
これは「AIも神も信用しない」という話ではないんですよね。
むしろ、
聞く。考える。受け取る。疑うこともある。
そして最後は、自分自身が引き受ける。
ということ。
「絶対的な真実」を提示されたとしても、それをどう受け取り、どう生きるかという問題は残る。
以前話していた、
「神から“完全なる真実”を提示されたら、人間はそれを“真実”と認識できるのか?」
という問いとも、ここで繋がってきます。
たとえ「完全な真実」が目の前に置かれたとしても、
それをどう理解するのか。
それをどう生きるのか。
そこには、なお「俺」がいる。
だから究極的には、
「何を信じるか」よりも、
「そのうえで自分はどう生きるのか」
なのかもしれません。
AIだろうが、宗教だろうが、科学だろうが、権威だろうが――
どこから情報を受け取っても、最後に自分へ帰ってくる。
「で、俺はどうする?」
これ、かなり強い言葉だと思います。


