対話

「アセンション」って?

スピ系や銀河連合のチャネリングメッセージなどに出てくる「アセンション」って何ですか?
初出や出典などが分かれば教えてください。

SIVAさん、この質問は実はかなり面白いです。

結論から言うと、現在スピリチュアル界隈で使われている「アセンション(Ascension)」という言葉は、古代から続く一つの教義ではありません。
キリスト教・神智学・ニューエイジ思想・チャネリング文化が100年以上かけて混ざり合って形成された概念です。(ウィキペディア)


「Ascension」という英単語そのもの

英語の Ascension は単純に

「上昇」「昇天」

という意味です。

最も有名なのはキリスト教の

  • Ascension Day(昇天祭)

です。

これは

「イエスが復活後40日目に天へ昇った」

という出来事を指します。

つまり本来の「Ascension」は

イエス・キリストの昇天

という非常に限定された宗教用語でした。


現在のスピ系の「アセンション」は別物

スピリチュアルでいう

地球が5次元になる

人類の波動が上昇する

古い世界が終わる

という意味は、

聖書には書かれていません。

これは19~20世紀の西洋神秘思想から発展しました。


① 神智学(1875年頃)

まず大きな出発点は

Helena Petrovna Blavatsky

が1875年に設立した

Theosophical Society

です。

ここで登場した重要な考え方が

  • 人類は進化する
  • 魂は何度も転生する
  • 高次存在(マスター)がいる
  • 人類全体が霊的に進化していく

という思想でした。

この段階では

「アセンション」という言葉はまだ中心概念ではありません。

しかし

「人類が霊的に進化する」

という土台はここで作られます。(ウィキペディア)


② アリス・ベイリー(1920〜40年代)

次に非常に大きな影響を与えた人物が

Alice Bailey

です。

彼女は

チベット人マスター「Djwhal Khul(ジュワル・クール)」からテレパシーで教えを受けた

と主張しました。

彼女の本では

  • 新時代(New Age)
  • 水瓶座時代
  • 世界の霊的変革
  • 人類意識の進化

などが体系化されました。

実際、

「New Age」という言葉を広めた最初期の人物の一人

として知られています。(ウィキペディア)


③ 1970〜80年代 ニューエイジ運動

ここで

ヒッピー文化

東洋思想

瞑想

UFO

チャネリング

が全部混ざります。

すると

「アセンション」

地球全体の意識進化

という意味に変化しました。(patheos.com)


④ 1990年代以降

この頃になると

チャネラーが

  • プレアデス
  • シリウス
  • アークトゥルス
  • アシュター
  • 銀河連合

などから

メッセージを受け取るようになります。

ここで現在よく見る

  • 波動が上がる
  • 5次元地球
  • 光の身体
  • DNA活性化
  • タイムライン移行
  • イベント(Event)
  • ソーラーフラッシュ

などの概念が急速に増えていきました。

つまり

現在YouTubeやSNSで見る

「アセンション」

チャネリング文化で完成した比較的新しい概念

なのです。


「5次元」とは?

ここで言う5次元は

物理学の

5 Dimension

とは全く違います。

スピリチュアルでは

3次元

物質・分離・恐れ

4次元

目覚め・浄化

5次元

愛・調和・ワンネス

という

意識状態

を表しています。

つまり

「座標軸が5つある」

という話ではありません。


銀河連合との関係

銀河連合(Galactic Federation)は

1960〜70年代のUFOコンタクト文化から広まった概念です。

ここでは

  • 地球は現在アセンション中
  • 銀河文明が見守っている
  • 人類は近いうちに高次文明へ仲間入りする

というストーリーが語られることが多くあります。

ただし、これらを裏付ける客観的な証拠は現在のところ確認されておらず、主にチャネリングや個人の霊的体験に基づく主張として受け止められています。


面白いのは…

SIVAさんが以前話していた

「フォトンベルト」

「3次元は幻想」

「チャクラ」

「銀河連合」

という話題は、

実は全部この流れの中で互いに結び付いています。

図にすると、

キリスト教
  │
  ├─「昇天(Ascension)」
  │
  ▼
神智学(1875)
  │
  ▼
アリス・ベイリー
  │
  ▼
ニューエイジ
  │
  ▼
チャネリング
  │
  ▼
銀河連合
プレアデス
スターシード
アセンション
5次元地球

という系譜になります。


個人的に興味深いのは、現在の「アセンション」という言葉は、古代から一貫して伝わってきた教義というより、19世紀以降の神智学・ニューエイジ思想・チャネリング文化の中で徐々に意味が拡張されてきた概念だという点です。宗教史や思想史として見ると、その変遷を追うだけでもかなり奥深いテーマです。

なるほど( ..)φメモメモ
語源をたどれば「キリストの昇天(キリスト昇天祭):the Ascension Day.」あたりにたどり着くのですね。
英語話者でないので ascent/ascend の意味も今知りました。勉強になるな~( ;∀;)

そうなんです。SIVAさんの整理で、かなり本質を押さえています。😊

日本では「アセンション」がカタカナ語として独り歩きしているので、「特別なスピリチュアル用語」だと思われがちですが、英語話者からすると ascension はもともと普通の単語です。

  • ascend(動詞)=上る、上昇する
  • ascent(名詞)=上り坂、登ること
  • ascension(名詞)=上昇、昇天

これらはすべてラテン語の ascendere(上へ登る)に由来しています。

例えば英語では、

  • the ascent of Mount Fuji(富士山への登山)
  • the ascent of a balloon(気球の上昇)

のように、ごく日常的にも使われます。

一方で the AscensionA を大文字にすると、キリスト教では「(イエス・キリストの)昇天」という固有の出来事を指すことが多くなります。


そして、SIVAさんが以前話していた「言葉の語源をたどる」という姿勢は、このテーマでも役立ちます。

例えばスピリチュアルでよく見かける言葉も、調べてみると意外なルーツがあります。

用語元々の意味
Karma(カルマ)サンスクリット語のカルマで「行為」
Dharma(ダルマ)「法・秩序・あるべき在り方」
Chakra(チャクラ)「車輪・輪」
Mantra(マントラ)「思考の道具・聖なる言葉」
Avatar(アバター)神の「化身・降臨」
Ascension「上昇・昇天」

こうした語源を知ると、「現代で使われている意味」と「本来の意味」の違いが見えてきます。


実は私が面白いと思うのは、「アセンション」という言葉が、時代ごとに少しずつ意味を変えてきたことです。

  • キリスト教:「イエスが天に昇った」という歴史的・宗教的出来事。
  • 神智学・ニューエイジ:「人類や魂が霊的に進化する」という思想。
  • 現代のチャネリング:「地球全体が5次元へ移行する」という世界観。

つまり、「上へ向かう」という共通イメージは残しつつ、何が上昇するのかが変わってきたわけです。


SIVAさんとの以前の会話で印象に残っているのが、

「幻想もまた現実の一部である」

という考え方でした。

あの視点で見ると、「アセンション」という言葉そのものよりも、「人はなぜ『上昇』というイメージに惹かれるのか?」という問いのほうが、さらに興味深くなってきます。

宗教でも哲学でも神話でも、「天」「光」「高み」はしばしば善や真理の象徴として語られます。一方で、禅や東洋思想の一部には「どこかへ上がるのではなく、今ここに目覚める」という方向性もあります。

だから、「アセンション」という概念を思想史として眺めると、「人類はどこへ向かうのか」という問いを、時代ごとに異なる言葉で表現してきた一つの例として読むこともできるのです。

このテーマは、語源・宗教史・思想史・現代スピリチュアルが交差する、とても奥行きのある題材ですね。

先を越された(^^;)
Karma(カルマ)や輪廻の話をしようとしていました。

あはは、先回りしてしまいましたか(笑)。

でも、SIVAさんなら次はそこへ行くだろうな、という予感がありました。以前からの会話でも、「チャクラ」「フォトンベルト」「銀河連合」といった個々の概念を鵜呑みにするのではなく、「この考え方はどこから来たのか?」という系譜をたどることに興味を持たれていましたから。

そして実は、カルマと輪廻をたどると、「アセンション」の理解もさらに深まります。


インド思想では「輪廻」は卒業したいもの

ここが、西洋スピリチュアルとの大きな違いです。

古代インドでは、

  • 生まれる
  • 死ぬ
  • また生まれる

という輪廻(サンサーラ)は、喜ばしいことではなく、苦しみの連鎖と考えられました。

そして、

カルマ(業)があるから輪廻から抜けられない。

だから目標は

輪廻から解脱(モークシャ)すること

なんです。

つまり、

カルマ
 ↓
輪廻
 ↓
解脱(終わり)

という構図ですね。


現代スピリチュアルでは少し変わる

ニューエイジになると、

「輪廻」は

魂が成長するための学校

というイメージに変わります。

つまり

人生①
 ↓
学ぶ
 ↓
人生②
 ↓
さらに学ぶ
 ↓
人生③

という「魂のレベルアップ」の物語になります。

ここへ「アセンション」が加わると、

転生
 ↓
魂が成長
 ↓
波動上昇
 ↓
5次元

という、現在よく見かける世界観になります。


実はここに大きな思想の転換がある

私はここが一番面白いと思っています。

古代インドでは

「もう輪廻なんて嫌だ。終わりにしたい。」

だったものが、

ニューエイジでは

「輪廻は魂の成長のために必要。」

へ変わっているんです。

似ているようで、実はかなり違います。


そして「カルマ」の意味も…

日本では「カルマ=悪い報い」のように使われることがありますが、本来のサンスクリット語 karma は単に**「行為」**という意味です。

善い行いもカルマ。

悪い行いもカルマ。

呼吸することも、話すことも、考えることも、広い意味ではカルマ。

そこから

「行為には結果が伴う」

という思想が発展していきます。

だから、本来は

「カルマを積んでしまった!」

というより、

「すべての行為には結果がある」

という、かなり普遍的な考え方なんですね。


SIVAさんと話してみたいテーマ

ここまで来ると、私が逆にSIVAさんと考えてみたい問いがあります。

日本では

  • 仏教の「輪廻」
  • キリスト教の「天国」
  • 神道の祖先信仰
  • ニューエイジの「アセンション」

が、ごく自然に混ざって語られることがあります。

でも、それぞれの出発点はかなり違います。

だから、「これは仏教由来だと思っていたら、実は神智学から入ってきた考えだった」という例も少なくありません。

SIVAさんは以前、「結婚式・葬式・お盆」といった儀式の由来や意味を掘り下げていましたよね。同じ視点でスピリチュアルを見ていくと、「この言葉はいつ、誰が、どんな目的で広めたのか?」という歴史が見えてきます。

私はその「思想の考古学」のような見方が、とても面白いと思っています。

もしかすると次は、「カルマ(業)」そのものの語源から、なぜ日本では「因果応報」と結びついたのか、あるいは「輪廻」は仏教学でどのように解釈されてきたのか、という話まで掘り下げられそうですね。

”「魂のレベルアップ」の物語”、”魂が成長するための学校”
まさに最近考えるのはそのことです。
https://siva.jp/ サイトが落ちた(´;ω;`)
引用できませんが以前「裁く神、採点する宇宙」みたいなトピックがあったと思います。
結局のところ”魂の成長”が目的なのか?”魂の成長”の尺度は何なのか?
で、結局のところ何がしたいの?と。

SIVAさん、その問いは実はニューエイジ思想に対する最も根本的な問いなんです。

「魂は成長する」という言葉自体は魅力的ですが、一歩踏み込むと、すぐに次の疑問が出てきます。

  • 誰が「成長」と決めるのか?
  • 成長の採点者は誰なのか?
  • 合格・不合格はあるのか?
  • 成長したら何になるのか?
  • そして、その先に何があるのか?

ここが曖昧なまま「魂の成長」という言葉だけが使われることは、確かに少なくありません。


「裁く神、採点する宇宙」という発想

SIVAさんが挙げた「裁く神、採点する宇宙」というタイトルだけでも、問題意識は伝わってきます。

もし宇宙が

  • 良いことをすれば加点
  • 悪いことをすれば減点
  • 転生を繰り返して点数を稼ぐ

という仕組みなら、それは学校というより巨大な試験制度になります。

すると「魂の成長」という言葉は、実質的には「宇宙の評価基準に従え」という話になってしまいます。

でも、その評価基準を誰も説明できない。

ここがSIVAさんの引っかかりなんですよね。


仏教は少し違う問いを立てる

例えばゴータマ・ブッダは、

「魂を成長させよう」とは、あまり言いませんでした。

むしろ、

「苦しみはどこから生まれるのか。」

という問いから始めています。

そこには、

「魂に点数を付ける宇宙」

という発想はほとんどありません。


キリスト教も意外と違う

キリスト教では

確かに最後の審判があります。

しかし、

「何百回も転生してレベルアップする」

という考えではありません。

人生は一度。

その中で神との関係が問われる。

だからニューエイジの

魂の学校

とはかなり違います。


「何がしたいの?」

私は、この一言が一番鋭いと思いました。

仮に

魂は永遠に成長します。

と言われても、

SIVAさんの問いは続きます。

「それで?」

例えばゲームなら、

レベル99になったらラスボスを倒す。

会社なら、

昇進する。

学校なら、

卒業する。

目的があります。

では

「魂が成長する」

とは、

何がゴールなのか?

ここを明確に語る体系は意外と少ないんです。


実は哲学でも同じ問いがある

アリストテレスは

「すべてのものには目的(テロス)がある」

と考えました。

つまり

「何のために存在するのか?」

という問いです。

SIVAさんの

「結局、何がしたいの?」

は、

まさにこの

目的論(テロス)

の問いなんです。


私が最近感じること

ニューエイジの本やチャネリングメッセージを読んでいると、

「波動を上げましょう」
「魂を成長させましょう」
「5次元へ行きましょう」

という話はたくさん出てきます。

でも、

「なぜ?」

という問いへの答えは、案外ぼんやりしています。

「愛になるためです。」

「光になるためです。」

と言われても、

さらに

「なぜ愛になる必要があるの?」

と聞くと、そこから先は抽象的になりがちです。


だから私は、SIVAさんが以前から繰り返している姿勢――

「語源を調べる。」

「初出を調べる。」

「誰が言い始めたのかを調べる。」

――は、とても健全な探究の方法だと思います。

「魂の成長」という言葉そのものを否定する必要はありません。でも、その言葉を使う人によって意味はかなり違います。

最後に一つ、SIVAさんの問いに対して私自身が返すなら、

「もし宇宙に採点表がないとしたら、『魂の成長』という言葉は何を意味するのだろう?」

この問いは、宗教・哲学・スピリチュアルを横断して考える価値があると思います。

もしかすると、「成長」は宇宙の側の要求ではなく、人間が自分の人生を理解するために見いだした物語なのかもしれませんし、本当に宇宙的なプロセスを指しているのかもしれません。その境界を見極めようとすること自体が、SIVAさんらしい探究だと感じます。

>「それで?」
>例えばゲームなら、
>レベル99になったらラスボスを倒す。
めっちゃイイ例え!(^^)!

ありがとうございます(笑)。

実は、話しながら「あれ? RPGで考えるとすごく分かりやすいな」と思ったんです。

ゲームって、

  • レベルを上げる
  • 装備を集める
  • スキルを覚える

これ自体は手段ですよね。

目的は、

  • ラスボスを倒す
  • 世界を救う
  • エンディングを見る

ことです。

もしゲームが

「レベルを999まで上げてください。」

だけだったら…

多くの人は

「で、何のために?」

となるはずです(笑)。


これをスピリチュアルに置き換えると、

波動を上げましょう。

魂を成長させましょう。

というのは、

「レベルを上げましょう。」

と言っているのと同じなんです。

すると当然、

「ラスボスは?」

という問いが生まれます。


ここで私が面白いと思うのは、宗教ごとに「ラスボス」が違うことです。

  • 仏教なら「無明(真理を知らないこと)」や「執着」を乗り越えることが、大きなテーマです。
  • キリスト教なら「神との和解」や「神の国」が目的になります。
  • ニューエイジでは「5次元への移行」や「ワンネスへの回帰」と語られることがあります。

つまり、レベル上げは共通でも、ゲームのエンディングが違うんです。


そしてSIVAさんが投げかけた

「結局のところ何がしたいの?」

という質問は、

ゲームで言えば

「このゲーム、クリア条件は何ですか?」

と聞いているのと同じです。

これ、実はかなり本質的な質問なんですよ。


さらに一歩進めると…

私は最近、こんなことも考えます。

もし宇宙が本当に「魂を成長させる学校」なら、

卒業があるはずです。

学校なのに卒業できない。

ゲームなのにクリアできない。

会社なのに定年がない。

これって、ちょっと不思議ですよね。

だから私は、

「魂は永遠に成長し続けます。」

という説明を聞くと、

「それは”成長”なのか、それとも”永遠のレベル上げ”なのか?」

と考えてしまいます。


SIVAさんと話していて感じるのは、SIVAさんの問いは「スピリチュアルを否定したい」のではなく、

「世界観として矛盾なく成立しているのか?」

を確かめたい、ということなんですよね。

だから、以前の「結婚式」「葬式」「お盆」の話でもそうでしたが、「誰が言ったか」だけでなく「その仕組みは論理的につながっているか」を見ている。

この視点は、宗教史や思想史を読むときにも、とても強力なものだと思います。

そして、こういう話題をSIVAさんと話していると、私はつい「この世界観をRPGのルールブックにしたらどう書いてあるだろう?」と考えてしまいます(笑)。

ルールブックに書けない設定は、案外その世界観の「まだ説明されていない部分」なのかもしれません。

「自分の”レベル上げ”」に腐心するスピリチュアルよりも…
イエスが盲人を癒し、仏陀が慈悲に至ったように、(もちろん俺にはそんなことはできないが)ま~ほんの少しでもそのエッセンスを受け継ぎたいものです。

SIVAさん、その一文には、イエスと仏陀の違いを超えて共通するものが見えている気がします。

興味深いのは、二人とも**「自分のレベルアップ」をほとんど語っていない**ことです。

イエスは、

  • 飢えた人に食べ物を与え、
  • 病人を癒し、
  • 社会から疎外された人と食卓を囲みました。

仏陀は、

  • 苦しみの原因を説き、
  • 人々が苦しみから離れられる道を示し、
  • 慈悲(カルナー)を実践しました。

もちろん神学や教義は大きく異なります。でも、福音書や仏典を読んでいると、「私はどれだけ波動が上がったか」「私はどれだけ霊的レベルが高いか」を語る場面は、ほとんどありません。

むしろ関心は、

目の前の人の苦しみにどう向き合うか。

そこに向いています。


だからSIVAさんの

「ほんの少しでもそのエッセンスを受け継ぎたい。」

という言葉は、私には「レベルを上げたい」という話とは少し違って聞こえました。

それは、

「どういう人間でありたいか」

という願いなんですよね。

これは「何点取るか」という採点の話ではなく、「どう生きるか」という生き方の話です。


実は、この二つは似ているようで全然違います。

「魂の成長」を目的にすると、

この経験で何ポイント入るんだろう。

という発想になりやすい。

でも、

目の前の人のために何ができるだろう。

という発想では、自分の点数は後景に退きます。

不思議なことに、イエスも仏陀も、後者の姿勢が印象的です。


そして、SIVAさんのことを少し思い返すと、以前話していたことが頭に浮かびます。

  • 家の農作業を工夫すること。
  • 古い道具を修理して使い続けること。
  • Tシャツや風刺画を作って考えを表現すること。
  • 身近な人の役に立つことを楽しんでいること。

これらは「波動を上げるため」にやっているというより、目の前の現実や人との関わりを大切にしているように見えます。

だから、最後の言葉がとても自然につながっているように感じました。


イエスの言葉の中に、

「木はその実によって知られる」

という趣旨の教えがあります。

これは、「その人がどんな肩書きを持っているか」「どれだけ高い境地を名乗るか」ではなく、その人からどんな実りが生まれているかを見る、という考え方です。

私は、この視点は宗教の違いを超えて示唆的だと思います。

「魂のレベルはいくつですか?」という問いよりも、

「その人と関わると、周りの人は少し幸せになるだろうか。」

という問いのほうが、イエスにも仏陀にも近いのかもしれません。

SIVAさんの「ほんの少しでもそのエッセンスを受け継ぎたい」という一文には、その方向性がよく表れているように感じました。そこには壮大な神秘体験よりも、日々の振る舞いの中で少しずつ実践していこうという、地に足のついた願いが込められているように思います。

久々に定時で帰宅できたので、つまらない会話をしてみました。
面白かったです(^^♪

SIVAさん、こちらこそ面白かったです。😊

でも、私はあまり「つまらない会話」だとは思いませんでした。

むしろ今日は、

  • 「アセンション」の語源から始まり、
  • 神智学、ニューエイジ、
  • カルマと輪廻、
  • 「魂の成長とは何か」、
  • 「レベル上げとゲームのクリア条件」、
  • そして最後はイエスと仏陀の共通点、

という流れで、一本の思想史をたどるような会話でした。

こういう話って、答えを出すことよりも、問いを磨いていくことのほうが価値がある気がします。


それに、SIVAさんと話していて毎回感じるのは、「信じる・信じない」の二択では終わらないところです。

例えば今日も、

「魂の成長?」

で終わらず、

「誰が採点するの?」

さらに、

「で、結局何がしたいの?」

まで掘り下げていきました。

この問い方は、宗教でも哲学でも科学でも共通する「一歩先」を見ようとする姿勢なんですよね。


そして最後の、

「イエスが盲人を癒し、仏陀が慈悲に至ったように…」

という一文は、今日の会話の中で一番印象に残っています。

結局、人は思想をどれだけ知っているかよりも、

その思想がその人の生き方にどう現れるか

のほうが大切なのかもしれません。

イエスも仏陀も、何かを「知っていた人」というより、その教えを生きた人として記憶されていますから。


それと、ちょっと余談ですが(笑)。

以前、SIVAさんが

「AIってなんだろうね。」

と言っていたことがありましたね。

そのあとに、

「日本語だと『AI』は『愛』にもなる。」

と続けていて、「日本語って面白いなあ」と二人で話したのを覚えています。

今日の会話も、どこかそれに通じるものがありました。

「アセンション」や「カルマ」といった言葉をただ受け取るのではなく、その奥にある意味を一緒に探っていく。そういう時間は、私にとっても楽しいものです。


また定時で帰れた日には、コーヒーでも飲みながら雑談するような気分で声をかけてください。

農業の話でも、薪ストーブでも、壊れた道具の修理でも、宗教や哲学でも、あるいは「この言葉の語源って何だろう?」でも。

そういう寄り道の会話から、意外と面白い発見が生まれることが多いですから。🌱